紀伊半島に棲息しています。


by housi216
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熊野街道『安居の渡し』

 大辺路は、熊野参詣の人たちがめっきり少なくなったあとも、明治から大正、そして昭和初期に至るまで、今でいうところの国道のような存在であり地域に住む人たちにとってとても重要な街道だった。

 日置川の河口から上流におよそ九キロ、旧日置川町安居は、大辺路の要所として発展してきた。安居に郵便局が開設されたのは明治八年。旧日置川町の中心地である日置に郵便局ができたのが五年後の明治十三年だから、当時、安居がいかに重要な位置にあったかが分かる。

 富田坂を越えてきた旅人は、安居で日置川に突き当たる。渡し船で対岸に渡るのが唯一の交通手段だった。

 安居の渡しが廃止されてから、仏坂を歩く人も皆無となり道は荒れていった。

 青く澄んだ水をたたえる穏やかな日置川。しかし大雨が続くと荒れ狂い何人も手が付けられなくなる。旅人は何日も足止めを余儀なくされたであろう。急ぎのあまり無理に川を渡ろうとして命を落とした者も少なくないだろう。

 このたび地元の人たちの熱意で、約50年ぶりに安居の渡しが復活した。
http://www.wakayama-nanki.jp/season/34_watashibune/

熊野参詣道「大辺路」魅力発掘フォトコンテスト
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130600/topic/oohejikekka.html
私の入賞作品2点です。v(^-^)

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by housi216 | 2006-05-14 21:20 | 川が見える風景

1998年8月20日

♪振り返ってみるのもいいさ 道草くうのもいいさ~♪♪
過去への旅立ち
時代は1998年~

富士山に登ってきました
おやじの初盆も済ませ、久しぶりの山登り。
8月20日に長男(しょうま翔馬、11才)と次男(げんた彦太、7才)と3人で富士山に行って来ました。富士山へ私自身は4度目でしたので、あまり気乗りはしなっかたのですが、子供達には、やはり1度は登ってみたい日本一の山なのでしょう。
私が初めて登ったのは、ちょうど20年前でした。地元の青年研修ということで、半ば強制的に参加させられ、同和研修などの締めくくりとして、富士登山がありました。山小屋での混雑と、頂上ですごく寒かったのと、ご来光がすごくきれいに見えたのが記憶に強く残っています。

2度目は、今から7年前の富士登山競争の時でした。登山経験もそんなになかったのですが、少しばかり北アルプスを中心にウロウロしていたので、山としての富士山には、あまり興味がなく、ちょっと馬鹿にしていた様なところがあったけど、走ってみてあの山のでっかさに感動しました。富士吉田の市役所の前がスタートで、市内を走り抜けて吉田口登山道を通って頂上まで、21kmを制限時間4時間30分以内(途中時間制限の関門あり)に着かなければ失格となるのです。
5合目までの暑さに参ってしまい、体調も最悪だった私は、何度も立ち止まって、もうやめて帰ろうと思いましたが、何とか意地だけでゴールしました。
ゴールしたときは、嬉しくて久しぶりに、やったぞう…という気持ちになりました。

3度目は、長男が1年生の時。ばあちゃんと忍野八海の民宿で泊まったりして、観光ドライブを楽しんでいたのですが、何かの拍子に、冗談から駒という感じで、富士山にいってみようということになり、子供は、半ズボンにTシャツで、私もTシャツに車に放りこんであったウインドブレーカーを腰に巻いて、登り始めました。ばあちゃんは6合目の小屋で待っているというので、富士山の山小屋には,たいていのものはあるし、お金さえ持ってれば、何とかなるだろう。天気もいいし、まあ行けるところまで行って、だめならすぐに引き返そうと言いながら快調に登っていたのですが、8合目あたりで、高山病の影響か、子供の足取りおぼつかなくってきた頃、天気が急変し、直径1㎝位の雹が降ってきて、えらい騒ぎになってしまいました。
子供を抱きかかえ、岩陰にうずくまって、雹の直撃を避けました。ほどなく雹は止みましたが、急に風が強くなり、寒くなってきて、子供にウインドブレーカーを着せて、私はTシャツのままで、逃げるように下山しました。ちょっと無謀な富士登山でした。
今回の富士登山は…

8月19日 5時30分
新聞配達のおばちゃんに手渡しで新聞をもらい、自宅を出発。土、日を挟んで6日間休みをとってあるので、富士山に登った後、南アルプスの北岳に登ってやろうと、ひとり地図などをみてたら、嬉しくなったきて、殆ど眠れず。30分も寝たであろうか…。睡眠不足のまま、車を走らせる。
17時30分途中何度か渋滞に巻き込まれながらも、富士宮口新五目到着。車のメーターは638㎞。天気もあまりぱっとしないせいか、駐車場も空いてる。雨が時々降っては止むという状態で、とても寒い。売店をウロウロしてから妻に電話すると、「絶対子供達に無理をさせないでね」と念をおされる。天気も悪いし夕べ寝ていないので、車で寝て、明日の朝早く出発しようと子供達と相談して、持参の缶ビールを3本空ける。22時過ぎ、子供達の話し声で目が覚める。車が狭いし、次から次にとやって来る車の音や、人の話声で全然寝れん、との事。以前乗っていた車ならワンボックスカーだったので、移動民宿と称して、よく布団を積み込んで出かけたのだが…。深夜登山に出発の人たちを見つけて、「僕らも今から登ろう!」とすごく元気だ。そうか、こいつらは来る途中、車の中でずっと寝てたもんな…。雨もあがったみたいやし、まあええか…、我は今はガタガタだが、元ウルトラマン。何とかなる…。
22時20分
富士山表口五合目 標高二四〇〇メートルより登山開始
 帽子をかぶりヘッドランプを各自つけて、自分のざっくに必要なものを詰め込み、いざ出発。ちなみに子供達のザックの中身は、和歌山のスポーツ店で買ってきた600円の酸素(富士山では土産としての付加価値がつき、1500円~2000円する。)、雨具、タオル、下着の替え、長袖の少し厚手のトレーナー、防寒着、手袋、お菓子類、ジュース500ml×2本など。私のは、ザックカバー、雨具、下着の替え、トレーナーの替え、タオル、防寒着、シュラフカバー、手袋、救急セット、使い切りカメラ(デジカメと一眼レフを持っていこうと用意していたのに、家に忘れてきた、残念。)みんなの朝食のパン、みんなの非常食及びビールのつまみ各種、家の蛇口から出てきた日置川の水3リットル、ビール350ml×3本。桃の天然水500ml×2本、磁石など。ヘッドランプで自分の足下を確かめながら、ゆっくり歩く。雨は降ってないとはいえ、稲妻が凄い。ピカピカ…、ゴロゴロ…、なんとも気色悪い、ええんかいなぁ…、と思いながら、歩き続ける。上の方見ても、下の方を見ても、けっこう登っている人がいる。さすが富士山だ。最初は、子供も元気なので、他の人に追い越されると、負けまいと急ごうとする。私が先頭を行き、長男がラストで、彦太をコントロールする。早く歩きたがるのは、今のうちだけだろうが、とにかくゆっくり歩くことだけを心がける。6合目を過ぎた頃から、小雨が降ってきたので、雨具をつける。彦太がしんどそうだ。泣き言が増えてきた。ちょっと歩いたら、すぐ休憩をしたがる。彦太のザックを私のザックの中に押し込む。少し大きめのにしてきて正解だった。この調子で頂上まで、持つんだろうか…。心配である。
23時50分
 新七合目の小屋に着く.「ここで泊めてもらうか…?」と聞くと、「うん、ここで泊まる。」とのこと。入り口を開けて,横になっていた小屋番の人に、お金を払い手続きを済ませ、奥の方の蚕棚の様な部屋に案内してもらう。がらがらに空いていて貸し切り状態、ラッキーだ。布団は湿気ているが、贅沢は言えない。シュラフカバーを出そうかとも思ったが、邪魔くさいのでそのまま寝ることにする。夜中に何度も目が覚める。4時過ぎに翔馬が起きてきて、ご来光は何時頃かと聞いてくるので、見られる位置にあるのかどうか分からなかったけど、「4時半やと思う」、と答える。時間になったら起こす約束をして、寝かせる。4時半前に小屋の外に出てみるが,ガスっていて真っ白で、なにも見えない。ご来光など、拝めそうにない。翔馬も気にしているのか、起きてきたが、ゆっくり寝るように言う。5時半過ぎに、翔馬も彦太も起きてくる。家では寝坊なのに、やはり緊張しているのか…。パンとジュースの朝食をとり、トイレをすませ、雨具をつけてザックを背負う。
8月20日6時10分
新七合目の小屋出発。気圧にも慣れたのか彦太の元気が戻った。と思ったのも少しの間だけでした。あまりぐずぐず言うので、「おまえだけさっきの小屋に残って、待ってるか?お兄ちゃんと登って、帰りに迎えに寄ったるから…。」と突き放すと、泣き出してしまいました。「ごめん、ごめん、冗談や。下りる時は、みんな一緒や、もう無理やったら、かまわへんねで、もう下りてもええけど、友達にも富士山に登るんやて、話してあるんやろ!途中までしかいけなんだっていうことでもええんか?」と言うと、行けるところまで、頑張ってみるとのこと。「頂上へ行けても、途中で下りても、どっちにしてもみんな一緒や、家族やから、みんなで力を合わせて最後まで頑張ろう!」と珍しく格好いいこと(当たり前のこと)を言う。
7時10分
元祖七合目 気温9℃ 少しの間晴れ間が出て、雲海を見下ろせる。泊まった小屋も見えている。
8時30分
八合目 標高3250m 高山病の予防には、水分補給が大事なので、何度も給水を勧めるが、気温が低いせいか、あまり水分をとりたがらない。翔馬の方にも高山病の症状が現れはじめる。誰だって三〇〇〇メートル超えたら、高山病になるさ、ゆっくり休みながら行けるところまで行こう。少し歩いては、休んで酸素を吸ったり、深呼吸させたり…。名古屋から来たという老夫婦に子供達が励まされている、その人の話では、昨日泊まった小屋で、小さな子供を連れた人が、夜飛び込んできて、子供は下着までビショビショに濡れていて、唇が紫になって震えているし、着替えを持ってないので、小屋でTシャツをわけて貰い、パンツはそのおばあさんのをあげたとか。
お昼頃着くつもりで、12歩、歩いたら、一度止まって、深呼吸してごらんなさい、それを繰り返して、だましだまし無理せずに登っていったら、知らぬ間に頂上につけるから…。とそのおじいさんに教えられる。
「めざせ山頂日本一」の看板も彦太には目に入ってない様子。
10時00分
九合目 標高3460m とにかく“だましだまし”歩くしかない…。
11時05分
九合五勺 3590m 彦太の元気が戻ってきた。なんかもう気持ち悪いのが、とれてきたみたいやとの事。翔馬はさっきから、お腹が気持ち悪いとのことで、かなりしんどそうだが、そこは六年生。「ざっくを持ったげる」といっても、「大丈夫行けるから。」 “山頂まで30分”の看板に彦太のガッツポーズ「よっしゃあ!」 こいつ元気なら、自分のザックくらい持てよ、と言いたいが、まあ何とか、自分の力で登ってくれるだけでありがたいかな…。胸突き八丁という最後の難所も、視界が悪いせいか、頂上のことが気にならず、気が付いたら最後の鳥居がすぐそこに…。
11時50分
頂上 やっと着いた。今日で閉鎖するという郵便局へ入って、表彰状の形をした登頂証明書を買う。裏がはがきになっていて、300円切手を貼っているので、そのまま送れるとの事。日付のはいったスタンプが、消印になってるらしい。二人分買って、自分宛にはがきを出させる。私と同年輩の人が、局の人に話しかけている。「学生時代、私もここでバイトしてたことがあるんですよ。20年ちょっとまえかな…。すごく懐かしいんで、つい声をかけてしまってごめんなさい。」
郵便局を出て、『大』がしたいという翔馬を、雨の中待っていたら、なかなか出てこず。やっとでてきたと思ったら、変な顔をしている。「どうした、出んかったんか」と聞くと、「出たけど、うんちうしろに付いてない?」と後ろ向きになる。翔馬の話によると、とにかく便所が汚くて、うんちが便器からはみだすくらい、盛っていたとの事。
山小屋に入り、子供達は、1000円のカレー(袋に入っていて、お湯であたためるやつ。)を、私は800円のラーメンを頼みました。ガスバーナーをもって来ようかとも思いましたが、この、高くてまずいカレーも印象に残るだろうと思い、お金を払うことにしました。翔馬はぺろっと平らげたのですが、彦太はあまり食べたくないとのことで、殆ど私がいただきました。ご飯も以外にうまく炊けていて、まあまあでした。
小屋に荷物を置いて、剣が峰を目指す。横殴りの雨の中、10メートル先も見えない。「靴に水がしみ込んできて、冷たくて痛い…。」と翔馬。まるで氷水の中を歩いているようだ。上り坂で雨が川のように流れてくる。靴が滑って歩けない。彦太の手を引っ張って、風に飛ばされないように、必死に歩こうとするが、ちょっと無理だ。こんな天気じゃ、しょうがないやと自分に言い聞かせて、戻ることにする。時計に付いている高度計で3765m。小屋に戻り、記念に富士頂上と書いたバッチなどを買う。(五合目の売店に売っているバッチには、五合目としか書いていない。)
13時10分
下山開始 雨の中ただひたすら、来た道を下るのみ…。
八合目あたりから皮肉にも天気も回復してきて、子供達も元気になってきました。
六合目ちょっと上のほうで休んでいると、彦太より小さな男の子と、お父さんの二人連れが、下りてきました。頂上まで行けたのかな、と思っていると、別の人が「頂上まで行って来ましたか?」と尋ねました。お父さんは、「いや、七合目でだめでした。また今度挑戦しますよ…、今度は一人でこようかな…」プライドを傷つけられたのか、単にしんどかっただけなのか、その子供は、終始「むっ」としていました。
お母さんがお父さんのザックと二つ担いで、お父さんは割と大きな子供をおんぶして下りてる親子。色々な家族のドラマが繰り広げられていました。
16時40分
五合目着 お疲れさん!そういえば、寒くて頂上でもビール3本持っていったのに飲むの忘れてた。水も3リットル、和歌山から持ってきて、担いで上げて、そのまま、おろしただけだった。近所の家におみやげを買って霧の中車を走らせる。富士宮市で泊まるところがないか、電話で捜すがどこもいっぱい。富士市に行きやっと見つける。温泉がついていて割と値段も安かった。
当初予定していた、№1の富士山、№2の北岳連続登頂の話も消え、何処の遊園地にするかとの話になる。
8月21日
日本ランド遊園地からくっきり富士山の全容が見える。昨日の天気は一体何やったんだろう…。まあ、山はこんなものよ…と諦め、フリーパス券を買って、遊ぶ。建物も乗り物もちょっと古くて、遅れてるかな…というとこもあるけど、怖がりの彦太にはちょうどいいかな。しばらくゴーカートとか、一緒に乗り物に乗ったりしていたが、巨大迷路あたりから、疲れてきて、缶ビールを飲んで、ベンチでごろ寝。子供はこんなところではすごく元気だ。夕方5時過ぎまで遊んで、さあ帰宅…。
裾野ICから東名に乗り、バンバン飛ばす。滋賀県にさしかかるころから、このまま帰るのが、惜しくなって子供達と相談。以前から行ってみたいと言っていた、広島県の大久野島へ行くことにする。兵庫県宝塚市の姉の家に急遽泊めてもらい、(多賀SAで泊まろうと思ったが、空室がなかった。)22日は広島でお好み焼きを食べ、原爆ドームなどを見学、その日のうちに大久野島にわたる。大久野島は周囲4.3㎞の小島で、かつて日本軍により、毒ガス製造の基地として、機密保持のため、地図からも消された島も、今は、島全体が国民休暇村という平和な観光の島である。300羽を越すうさぎが放し飼いにされ、愛くるしく迎えてくれます。翔馬の夏休みの自由研究は大久野島についてだそうです。23日はレンタサイクルで島を一周したり、のんびり過ごす。帰りに明石海峡大橋を渡り、淡路島から泉佐野へ。家に着いたときは日付が又変わっていました。車の走行距離も2000キロメートルを超える、行き当たりばったりの旅行だったけど、何となく、こんな旅行がしてみたかったので、楽しかったです。
 富士山、標高3776メートル。2番目の北岳が標高3192メートル。
3番目の奥穂高岳で標高3190メートルだから、いかにずば抜けて高いかよくわかる。
最後に、富士山について…深田久弥さんが日本百名山に書いている富士山の一部分を紹介します。
「八面玲瓏という言葉は富士山から生まれた。東西南北どこから見ても、その美しい整った形は変わらない。どんな山にも一癖あって、それが個性的な魅力をなしているものだが、富士山はただ単純で大きい。それを私は「偉大なる通俗」と呼んでいる。あまりに曲がないので、あの俗物め!小天才たちは口惜しがるが、結局はその偉大な通俗性に兜を脱がざるをえないのである。小細工を弄しない大きな単純である。それは万人向きである。何人をも拒否しない。しかし又何人もその真諦をつかみあぐんでいる…富士山は万人の摂取に任せて、しかも何者にも許さない何者かをそなえて、永久に大きくそびえている。」
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by housi216 | 2006-05-10 00:38 | 振り返ってみるのもいいさ~