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紀伊半島に棲息しています。


by housi216
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『山登りは最高』

時代は1997年~
息子が小学校5年生の時に書いたものです。v(^-^)

 『ぼくは、よく山登りをします。山の頂きに立ち、下の街を見下ろす時、自分が神様になったみたいで、とても気持がいいのです。
 十月二十五日と二十六日の二日間、ぼくと、お父さんと、山の会の人たちとで、大みね山おくがけ道南部じゅう走をしました。
 今まで、いくつもの山に登ってきたけど、ここが一番心に残った山でした。

 十月二十五日 土曜日 晴れ
 午前六時に、しゃかが岳の登山口・旭口にむけて、みんなで、県事務所前を出発しました。テントで泊まる事になっていて、ザックに道具をつめていくと、他の荷物があまり入らなくなったので、最小限必要なものしか入れませんでした。
  午前九時半ごろ、登山口に着いて、お父さんたち、車の運転手さん三人は、下山する場所まで、車を走らせて行きました。ぼくたちは、かわった植物を探したりしながら、散歩をして待っていました。
 午後一時半ごろ、やっとMさんのパジェロに乗って、お父さんたちがもどって来ました。「車でこんなに時間かかるんやったら、だいぶ歩かなあかんのやろうなあ。」と、少し不安になってきました。
 いよいよ出発です。ザックは、いつも山に登る時より、ずっと重かったので、
「重いよう。」
と言いながら、でも頑張って歩きました。
と中で、
「あっ、あそこにしかがおる。」
とだれかが言ったので、
「えっ。」と見ると、しかが二頭、ならんで、山のしゃ面を下っていきました。
「ピー、ヒョロロー。」
と鳴いているのを聞いて、ぼくにはまるで、トンビが鳴いているようで、不思議な気がしました。
 テントを張ったのは、深仙の宿という場所です。深仙の宿と言うぐらいだから、ね泊まりの出来る山小屋だと思っていたのに、そこには、小さなひなん小屋と、お堂しかなくて、テントも、ぽつん、ぽつんと張っているだけでした。おまけに、今にもこおってしまいそうなくらい寒かったので、今まで着ていた服の上に服を着て、その上にジャンパーまで着こんだのに、それでもまだ寒くて、ガタガタふるえていました。
 風もきつくて、他の人はお堂でねることになりました。ぼくとお父さんは、せっかく持ってきたんやからと、テントを張ることにしました。
 暗くなる前に、メンバーのうち四人で、しゃかが岳の頂上を目指し、歩き始めました。だんだん、体がポカポカあたたかくなってきました。
「なんじゃ、こりゃ。」
頂上に着くなり、ぼくはおどろいてしまいました。ぼくの身長の四倍ぐらいある、おしゃか様の銅像が、目の前にでんと立っていたのです。
「この銅像は、地元の強力が、一人でかついで登ったんやと。」
と、お父さんに聞いて、
「こんな大きな物を、こんなところまでどうやってかついで登ったんやろう。ほんまにすごいなあ。」と、ぼくは感心しました。
 空はすっかり暗くなり、数えきれないほどの星が、宝石みたいにきらきらとかがやいていました。ずっと見ていると、なんだか空へすいこまれそうな気がしました。このまま、ずうっとここにいたいと思いました。でも、寒くなってきたので、ヘッドランプのあかりをたよりに、今来た道をもどり、シュラフにもぐりこんでねました。

 十月二十六日 日曜日 くもりのち晴れ
 朝起きて、テントの中で、ガスバーナーを使い、ラーメンを作って、食べていると、
「翔馬、見てみい、ご来光や。」
と、お父さんが、テントのまどみたいな所から、外をのぞきながら言いました。
ぼくは、今まで白山や白馬岳に登った時に、朝早く起きて、ご来光を見に行ったけど、くもっていて、一度も見ることができなかったので、「次に山へ登った時には、ご来光が見たい。」と思っていました。
「見せて、見せて。」
と言って、のぞいていると、真っ赤な太陽が、山と山のすき間から、どんどんのぼってきました。太陽は
「おうい、みんな、朝がやって来たぞう。今日も一日がんばろう。」
と言っているようでした。
 テントをかた付けて、出発したのは、六時半ごろでした。風がびゅんびゅんふいてきて、ふっ飛びそうになりながら、必死に歩いていると、S会長が、
「年をとってかみの毛が減ってきたら、ぼうしがすべりやすなるなあ。」
と、手でぼうしを押さえながら歩いていました。Mおっちゃんも、ぼうしをにぎりしめて歩いていました。
 休けいの時、Hおばちゃんが、きのうみた夢の話をしてくれました。
「寒い、寒いって言いやったら、祭りの化しょうみたいなのをした女の人が二人、おどりながら出てきて私の服持っていってしもてん。それ、私のやから返してよ、と言っても、何も言わんと持って行ってしまってん。」
その話を聞いて、「そんなに寒かってんなあ。」と思いました。ぼくらは、テントでねたけど、シュラフがとてもあたたかくて、気持よくねることができました。
 と中で、木がたおれていて、のりこえなければ通れないような所や、くさり場がいっぱいあったり、くまのつめあとも見つけました。
 持経の宿をすぎてすぐの所に、とても大きな木が、たくさん生えていました。木が大きいせいか、落ちているどんぐりも特大でした。「どんぐりのせいくらべとは、みんな同じようなことを言うけれど、これと日置のどんぐりをくらべると、ずっとこっちの方がおおきいなあ。」とぼくは思いました。
「行仙岳山頂まで十分」と書いた、道しるべの所で、休けいをしました。行仙岳は、ぼくらがこの日に登る、最後の山です。
「あとちょっとしかないから、楽しんで登らなあかんなあ。」
と、S会長が言いました。
 ところが、Tおばちゃんたちが、
「頂上に一番のりしよし。」
とぼくに言って、
「翔馬君が通ります。道を開けて下さい。」
と大声で言ったので、ぼくは、走らないわけにはいきません。坂がきつかったので、あせびっしょりになりながら走りました。しんどかったけど、一番初めに頂上に着けたので、とても気持が良かったです。
 頂上には、ぼくが見たおしゃか様の銅像の何十倍もある、NTTのパラボラアンテナが建っていて、これにもおどろかされました。
 それから、みんなの前で、大人の中で一人だけ小学生なのに、長い道のりをがんばって歩いたという事を、表しょうしてもらいました。表しょう状の代わりに、Nさんが、エベレストの写真がのってる、テレホンカードをくれました。ぼくは、
「ありがとうございます。」
と、大声で言いました。
 でっかいおしゃか様の銅像が建っていた、しゃかが岳、ずうっとむこうに、うすぼんやりと見えていました。「よう、ここまでこれたもんやなあ。」と思いました。
「よくがん張った。」自分でも思いました。

家に帰ると、
「翔馬は、山から帰ってきたら、いつもいきいきした顔したある。ひと回り大きなったような気がするわ。」
と、お母さんに言われました。
「しんどいだけやのに、山登りらして、なにが楽しいんかなあ。」と思う人もいると思います。 
 でも、山の空気をすい、自然を見ながら、がん張って歩くのは、とても気持がいいものです。
 山では、人に出会うと必ずと言っていいほど、あいさつをします。自分から
「こんにちは。」
と言うのは、少し勇気がいるけど、言ってもらうと、
「さあ、がんばるぞ。」という気持になれます。
ぼくは、これからも山登りを続けていこうと思っています。』
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【評】 すがすがしい山の空気を感じさせてくれる作品に出会うことができました。
「しんどいだけやのに何が楽しいの。」とたずねられたことも何度かあったのでしょうね。
 翔馬君は、今までに経験したことのないご来光を見て、さらに山登りに取りつかれたのではないかと思えます。
 会話文も生き生きと表現されていました。
 これからも気をつけて山登りにちょう戦してみて下さい。
 
by housi216 | 2006-09-04 01:26 | 振り返ってみるのもいいさ~